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平成28年5月定例会

県政に対する一般質問・議案に対する質疑

6月9日に下記について質問いたしました。

鳥取県立美術館に関して→【知事】【教育委員長】【教育長】

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森雅幹:(登壇、拍手)

 本日、最後の質問になります。

 米子市選挙区出身、西部出身の森雅幹でございます。

 きょうは、会派の名前を出して自己紹介するのではなくて、あえて西部のというふうに申し上げました。
会派の中でもいろんな議論があります。
あったらいいなという施設じゃないの。
あるいは、必要な施設じゃないの。
いろんな議論があります。
私は、鳥取県立美術館は必要な施設だと、そういった立場で質問をしたいというふうに思います。

 美術のテレビ番組はNHK教育の「日曜美術館、美の壺」、テレビ東京の「美の巨人たち」、あるいは「開運!なんでも鑑定団」などが毎週放映されております。
中でも、「開運!なんでも鑑定団」は多くの人が見ておられるのではないかと思います。
この番組が美術品を楽しむことを多くの人に推奨しているのは本当にいいことだなと私は思っておりますが、残念な問題が2つあります。
それは、全てをお金に換算して物事を判断する、そして、専門家でないと本物かどうかがわからない、このことを多くの人に推奨している。
このことが、本来の美術の、あるいは芸術の鑑賞の仕方をゆがめているのではないかという危惧を持っております。
本来の美術、芸術は、時空を超え、言葉の壁を超えてわかり合える、楽しむことができるすばらしいものであります。
よく展覧会に行きますと、作品を見ている時間よりも誰の作品で何年に描いたとか、そういうのをキャプションといいますけれども、キャプションを見ている時間が多い人が結構おられます。
みずから鑑賞していない証拠であります。
対話型の鑑賞を初めとした美術鑑賞の楽しみ方を伝えることこそ、美術館のミッションであると考えております。
つまり、人づくりであります。
それは、創作者であり、鑑賞者であり、芸術の理解者であり、そして、芸術を楽しむ人、そういった人づくりだと考えますが、美術館のミッションについて、知事、教育委員長はどのように考えていらっしゃるのか、お尋ねをいたします。

 現在、いろんな議論がされておりますが、二次的な観光の目玉になって、20万人の入場者があって、地域おこしの起爆剤になるといったようなことが先行をしておりますが、私はあべこべではないかと考えます。
本来の美術館のミッションを議論すべきではないかと考えますが、教育長にお尋ねをいたします。

 本年2月の県議会で木村和久議員の代表質問に、器がなければできないことが紛れもなくあると中島教育委員長は答えていらっしゃいますが、美術館というハードがなくてもできること、あるいは、ハードがなければできないこととは具体的に何なのか。
教育委員長にお尋ねをいたします。

 かねてアクティブラーニングを取り上げて、このことが重要だということをずっと主張をしてまいりました。
美術こそ時代を超え、言葉を超えて、答えのないものについてみずから感じ、考え、言葉にすることこそアクティブラーニングだと考えます。
正しい、あるいは間違っている、そのことがない美術鑑賞の重要性、効果をどのように捉えていらっしゃるのか、教育委員長にお尋ねをいたします。

 また、毎年毎年学力調査が行われておりますが、芸術科目、音楽、美術ですが、この芸術科目と学力の関係はどのようになっているのか、教育委員長にお尋ねをいたします。

 きょうは、議長のお許しを得て、資料を皆さんにお配りいたしておりますが、博物館のこれまでの学校、小学校、中学校、高校ですが、学校との連携はどのように行われてきたのか、教育長にお尋ねをいたします。

 博物館に来ている学校は、資料を見ていただきますと、東部地域に限られている現状であります。
この西部の学校の校外学習の対象となっていないこと、あるいは東部に限られている現状、この理由をどのように分析していらっしゃるのか、教育長にお尋ねをいたします。

 美術館候補地評価等の専門委員会の評価項目に、学校教育からの視点が抜け落ちております。
私は非常に重要な点だと考えておりますが、この学校教育からの視点を入れることは必要ではないかと考えますが、教育長にお尋ねをいたします。

 そして、美術館の機能として、子供たちがここにやってきて、そこで食事ができる場、あるいは、美術館鑑賞をした後にストレスを解消するために近くに広場とか、そういったものが必要ではないかと考えますが、教育長にお尋ねをいたします。

 今度は、具体的に美術館の中に入りますけれども、展示についてお尋ねをいたします。

 先ほども興治議員のほうから権威主義とのお話がありましたけれども、美術展覧会に行きますと、多くが展示室を暗くして、作品にスポットを当てる展示が非常に多いです。
キャプションを読むのにも苦労をするような、そういった展覧会であります。
私も初めてルーブル美術館に行ったときには、本当にびっくりいたしました。
大きな天窓で、自然光が真っすぐ入るわけではありませんが、散乱された自然光が入る明るい部屋の中で作品鑑賞ができました。
作家がアトリエで描いているときも、展覧会が行われているああいう暗い状態で描いているはずはありません。
また、学芸員さんが展覧会のたびにつくる図録の写真を撮るときも、明るい照明の下で撮るはずであります。
なぜあんな暗い展覧会が多いのか。
新しくできたときには、これは明るい展示室が必要だと考えますが、いかがでしょうか。
教育長にお尋ねいたします。


平井知事:(登壇)

 森県議から美術館につきましてお尋ねをいただきました。

 森議員のほうからは、教育長、教育委員長のほうに美術館のさまざまなことのお尋ねがございましたので、これから明らかにしていただければと思います。

 私のほうには、そのコンセプトといいますか、人づくりではないかとか、また、美術館のあり方についてのお話がございました。
先ほど来、ずっと議論が続いていますので、私の考えは申し上げたところでございますけれども、やはり美術館というのは、それは一つの異次元空間をつくるのではないかなと、私は経験的にはそういうふうに感じているところであります。
議員が人づくりというお話をおっしゃいました。
なるほどとうなずけるところもございます。

 キャプションを読んでいることがちょっと美術鑑賞としてはいかがかという本質的な御議論もございました。
ただ、実はキャプションをつくる学芸員が大切でございまして、あの学芸員がどういうキャプションをつけるか、展覧会全体をどういうふうに構成するかで、これはいわば展覧会の質を決めたり、美術と触れ合う本質的な部分、そのインターフェースを構成する意味で大切な役割を果たしていると思います。
ですから、人づくりの中には多分キュレーター、学芸員も入っているはずだと思いますが、そういう意味で、キャプションもやはり光を当てるべきところはあるだろうと思います。

 ただ、そういうことを前提とした上ででありますが、子供たちが創作活動に入っていくきっかけになるとか、また、美術や芸術を志す人が本物の作品に触れて、そこで触発されて新しい創作活動の扉が開ける。
また、私たちのようなどちらかというと美術家というわけではありませんが、美術を楽しむ、そういう者たちに、先ほどお話もありましたように、幸せなそういう体験を与えるというようなお話がございました。
一つの閉ざされた空間の中で、そこで一生懸命この歴史的な重みも感じながら、芸術家が魂を込めて描き切ったこと、これの価値というのはやはりあるんだろうと思うのです。
ゴッホも言っていましたけれども、自分は作品をつくるときに、そこに魂を込めると。
その制作過程においては、自分をなくしてしまうというふうにも言っていました。
これは、やはり作品に対する画家の態度なのかなというふうにも思います。

 先般、鳥取におきまして、宮廻正明先生や、それから村岡貴美男先生をお招きしまして再興第100回院展がオープンされまして、現在、県立博物館で展覧会の真っ最中でございます。
日本画の最高峰でありますけれども、その先生方のお話に触れまして、私も大変になるほどなと思いましたけれども、絵を描くときの描き方があるということをおっしゃるわけです。
やはり絵のうまい下手ということはあるんだけれども、実は30、40代で始めてもおかしくないと。
私は54だと申しましたら、まだ大丈夫ですよということもおっしゃっていたのですが、そういうふうにいろんなことが、人たちが実はこの世界に参入することができるのだということでありました。
この木を描くときに、テッセンの花があそこにも飾ってあるのですけれども、そのテッセンの花の絵のお話なわけですが、花を描くのは実は日本画では基本だというお話をされておられました。
その日本画を描くに当たりまして、葉脈がわかる、葉脈からまず描くんだと。
その葉脈を描いて、それで、葉っぱが出てきて、花が出てくると。
そういうように、実はディテールからきちんと描き起こしていくということがあるそうでございます。
そうやっていろいろと日本画の世界というのは独特な構成感があるのかもしれませんけれども、その中に花というものの姿を実は全体として描き切るわけであります。
その描き切る構図というものは宮廻先生が村岡先生に語っておられて、村岡先生もそうだそうだとおっしゃっておられましたが、白地に描くときに、もう既に自分の頭の中に入っていると、描きたいものは、まず自分の中にあって、それを描き始めたときは、もうただそれを写す作業だというようにもおっしゃるわけであります。
何かというと、結局そういう四角い世界の中に入っているのは、その人の全人格のような気がするわけであります。
そういうものを眺めることを瞬時にしてやっていける、非常にぜいたくな空間がその美術館という空間なのかもしれません。
また、そこに流れる時というのは、そういうかなりの時間をかけて、また、全身全霊をかけて構成されたその時間を共有するわけでありまして、全く次元の違う時間をその絵の前、美術作品の前で私たちは感じることができるのではないか。
そんな意味で、大切な空間なのかなと改めて思い知らされたところでございました。

 この美術館というのは、先ほどもお話がございましたが、そうやって異次元を体験できるという意味で、ほかとは違った公共施設ということがあるのではないだろうか。
そこで、せっかくつくるのであれば、学校なりなんなり、そうした展開を考えた上でやっていけば、それが多くの方々の人生に彩りを与えたり、才能を開花させたり、地域の元気をつくったり、あるいは、県内外、国内外の人を引き寄せる、そういうよすがにもなるのではないかと考えているところでございます。


中島教育委員会委員長:

 森議員から5つ、御質問をいただいています。

 まずは、美術館のミッションについてです。

 キャプションを見ているばかりでという人が多いのではないかと。
私も結構キャプションを読むのだけどなと思ったのですけれども。
おっしゃりたいことというのは、要するに美術館等で知ることというのを、自分にとってのある種のアクセサリーのように特別なことを知っているという、人が知らない知的なことを知っているということに意味があって、何かアクセサリーだったり、高級な衣服のようなものとして捉えているという人が意外といるのではないかという御指摘だと思います。
私も、そういう部分もなきにしもあらずかなと思います。
そして、そういう状況の中で、美術館の本来的な目的というのが人をつくっていくことだということについて、私も全面的に同意するものであります。

 いつも芸術関係の施設の公共性ということを考えるのですけれども、基本的には人間というのは、今、この場所、現在というのに縛られて生きているのですよね、21世紀だとか、日本だとか、鳥取だとかということに縛られて生きていて、そこにおける常識が世界中、あらゆる歴史の中で人間がそういう常識を持って生きてきたんじゃないかというふうにややもすると私たちは思いがちだと思うのです。
しかし、当然ですけれども、同じこの世界の中でも全く私たちと違う環境を生きている人もいるし、また、時代が違えば、全然違う環境を生きている。
そういうことに対して、私たちは恐らく想像力を持っていかなければいけないんだと。
そういう想像力を持つということが、今、この非常に地球的ないろんな困難がある中で、とても重要なことになっていると。
そういうある種どこでもドアのようなものとして、いろんな時代につながるものとして美術館とか劇場とか図書館のようなものもあるんじゃないかというふうに私は思っております。

 そこにおいて、まず大事なことというのは、まずは入り口としては、感動ということがあるんだろうなというふうに思います。
人間の心が動いて、はっとして、ふだん考えなかったことを考えるようになる。
そういう体験を提供する場としての美術館、そういうものが私たちの身近な場所にできなければいけないということだろうなと思います。

 キャプションをということになると、やはり古い学校と同じように、ただ一つの正解を学ぶ場というふうに美術館が少し捉えられている傾向もあるのかなと思いますけれども、後の質問でもありましたように、アクティブラーニングなどを踏まえていくと、現在は、その知識だけではなくて、知識プラスアルファが必要な時代になっていて、他者と考えを交換して、それこそ能動的に自分で学んでいくという姿勢を持っていかなければいけない。
そういう意味合いを持つ場所として、美術館というものがしっかりとした機能を持っていかなければいけないのだと。
まずは美術館というのは社会教育施設であって、人間の魂を耕す場であるというふうに私たちは考えていかなければいけないのだろうなというふうに思っています。

 美術館というハードがなくても、器がなくてもできること、器がなければできないこと、これは木村議員の御質問のときに私、申し上げましたが、私が念頭にあったのは、やはり私が劇場という場を占有しながら仕事をして感じたことなのですけれども、箱があって、専門家が使える設備があって、機材があって、そこに芸術を愛し、精通している専門家がいて、そして、作品があるという、この3つがセットになって私は場は相乗的に大きな効果を発揮するものだというふうに思います。

 ハードがなくてもできることというと、こと美術館ということになると、一般的に想定されるのは、出前的な、作品を持ってということなのかなと思うのですけれども、一つは、やはり美術の場合は、その作品を、願わくば永久にすぐれた作品を後の世代に手渡していくという重要な責務がありますので、そのことを果たしながら、しかしながら、本物の作品に直接人に会ってもらうということをしていかなければいけませんので、そうすると、やはりしっかりした設備のある場所で本物の作品に出会い、かつ学芸員の人とか専門家の人がいて、そのことに関してしかるべき出会い方だとか、しかるべき知恵を提供してくれる、こういうことができるというのはやはり美術館、箱がなければできないことなのかなと思います。

 もう一つ大事なことは、やはり人が集まる場所だと。
ある程度同じ興味を持って人が集まる場所で、感動を共有しながら、その感動をもとにして少しでもコミュニケーションができたりするということは、地域にとって新しい熱の渦が広がっていく一つの拠点になるというようなメリットもあるんじゃないかなというふうに思います。

 アクティブラーニングと美術鑑賞、美術教育のつながりということなのですけれども、これも議員がおっしゃるとおりだなと思います。
アクティブラーニングというと、ちょっと2種類の捉え方があるかなと思っていて、1つは、従来の学びの方法に対して、アクティブラーニングの手法でやったほうが、より目的を早く達成できるとか、より深く達成できるという手法としてのアクティブラーニングの問題と、それこそ答えのない問題に対してどう共同的にやりながら、それぞれがそのプロセスの中で成長して答えを少しずつ探していくかという、そのプロセスを重視するものと両方あると思うのですけれども、議員がおっしゃっているのは、その後者のより本質的なアクティブラーニングということだと思います。
美術についてもやはりいろんな、メタ認知といいますか、いろんな人の考え方をもとにしながら、だんだんと作品についての理解を深めていくということでは、非常にアクティブラーニング的な部分があり、さっきのちょっとキャプションの絡みのことでいうと、確かに感じることも重要だけれども、でも、人の意見を聞いて、知ることで初めてわかることもありますよね。
感じること、知ること、感じること、知ることというのがらせん階段のようにつながっていく中で、何かが発展していくということはあると思うのです。
なので、そういう意味合いで、うまくアクティブラーニングという現代において非常に必要とされる学びの根本的な姿勢というものと美術鑑賞というものがうまくリンクして、アクティブラーニングのモデル的な実践として美術鑑賞が位置づけられていくというようなことはすごくおもしろい考え方じゃないかなと思って、お聞きしました。

 芸術科目と学力との関係について、どのように考えているかということなのですが、これはなかなか統計的なデータがあればいいのですけれども、あるものではないと思いますので、少し一般論になってしまいますが、一つは、学力の定義の問題かなと思います。
古い学力観でどれだけのことを記憶したかということを問う学力観であれば、基本的には音楽、美術の力と学力は関係ない。
どっちかというと反比例するという感じなのかなと思います。
しかし、今の学力観の中で、知識をもとにしながら、それを共同的にどう発展させていくかということを新しい価値の発見みたいなふうに言われますけれども、新しい価値をつくっていくというようなことを一つの学力として考えるならば、まさに芸術科目と学力ということについてはつながりがあると言えるのではないかなと思います。

 若干脇道にそれるのですけれども、今、学力と似た知的蓄積の評価方法として文化資本という言い方があります。
学歴だけじゃなくて、芸術的な知識とか体験をどれだけ身につけられたかということに注目する視点です。
現在だと、文化資本、経済力の格差が文化資本の格差につながっていくという非常に重要な社会的な課題もあると思うのですけれども、そういう負の連鎖を断ち切るということは私たちにとって非常に重要な課題であり、美術館などが果たせる役割として非常に大きいものがあるのではないかなと思います。
私たちは非常に成熟した知識、基盤社会を生きているわけですから、いわゆる学力も必要だし、芸術的素養や体験の蓄積も同じように重要だということなのかなと思います。

 最後に、鳥取県民にとって県立美術館は必要だと考えているかということなのですが、2つ視点があるかなと思います。

 教育的な視点でいくと、美術館が提供することが期待される知識とか体験、あるいはコミュニケーションは現在の教育的なニーズと非常にマッチする部分があるかなというふうに思います。
圏域をカバーする美術館ができて、そこでしっかりしたプログラムが展開されるならば、鳥取県の教育にとって非常にプラスですし、全国的にも誇れるものになるんじゃないかなというふうに思います。

 社会教育という視点ですけれども、やはり人は幾つになっても成長したいと思うものですし、成長できるものだと思います。
私たちは非常に先の見えない困難な時代を生きているのですけれども、さっき知事の答弁でもありましたが、一流の美術とか芸術は、やはり人間が社会を命がけで見詰めてきた、その蓄積として、結晶としてあるものだと思います。
そういうものは、私たちのこの時代の中の先を示す、未来を示す重要な灯台のようなものとして存在するんじゃないかなと思います。
そういうものをうまく地域の中に位置づけることができるような美術館ができるならば、それは間違いなく鳥取県の未来をつくるのに大きな貢献ができるんじゃないかなというふうに考えています。


山本教育長:

 森議員の一般質問にお答えをいたします。

 美術館につきまして何点か御質問がございました。

 初めに、二次的な観光的なこと、あるいは地域おこしの起爆剤になるというようなことが先行して議論されていて、あべこべじゃないかというようなお話がありましたが、この美術館の検討について、検討委員会の中では必要性やコンセプトについて議論をしていただく中で、一番は、やはり鳥取県の郷土の作家をきちんと継承していく。
また、それを県民の方に見ていただくというようなことでありますとか、それ以外にも、内外のすぐれた美術に触れる機会をふやすというようなことがまず第一ということで押さえられておりまして、それに続いて、さき方、興治議員からも御質問がありました人づくりについての議論がなされて、さらに最近の美術館に対します人々のニーズなども踏まえて、地域の活性化でありますとか、交流の核という観光的な要素も含めての議論がなされているということでございます。
あべこべというのは少し当たらないのかなというふうには思っていますが、ただ、議論が進んでいく中で、具体的な例えば建築費でありますとか、事業内容等々を示す中で、20万人という来館者の数字を示したりということで、これが具体的でわかりやすいということもあって、結果としてそういった議論が目立ってしまっているということではないのかなというふうに思っています。
いずれにしましても、きちんと必要性でありますとか、コンセプトを県民の方に理解していただく必要があろうと思いますので、県民フォーラム等でしっかりとそのあたりを説明させていただきたいと思います。

 続きまして、博物館のこれまでの学校の連携、あるいは東部に偏っているのではないかといったことがございましたが、これらにつきましては大場博物館長兼理事監から御答弁を申し上げます。

 次に、学校教育の視点が候補地の評価の専門委員会の評価項目から漏れているのではないかといった御質問がございましたが、これにつきましては、立地条件の中に地域づくり、まちづくりと連携しやすい場所という項目がありまして、その中に児童生徒、学生、研究者等が利用しやすいという例示を示しておりまして、そこでは、この学校教育といった視点も含めた判断がしていただけているのではないかなと思っております。

 また、美術館の機能として、子供たちの食事ができる場、あるいは広場等が必要ではないかといったお尋ねでございました。

 こういったものはある程度必要ではないかなと私も思っておりまして、これは検討委員会の中でも議論がなされております。
お年寄りから子供たちまであらゆる者に開かれた空間ということがうたわれる中で、そうした美術館とするために、美術館の外にも作品を設置して親しみやすい空間を創出するといったことでありますとか、館内にフリーゾーンを設けて、楽しんでいただけるような仕組みを整えたり、ワークショップルーム、あるいはキッズルームなどを設置して、子供たちが気軽に訪れて楽しめるようにするといったことも検討の中には入っておるところでございまして、こうしたことが御提案の子供たちの食事ができる場、広場等にも相当するものになるのではないかなと考えております。

 最後に、展示室の暗さの話がございました。
今日、多くの美術館でスポットライトによる展示照明が行われておるその理由は、展示用に作品を借用するということが多く行われるわけでございますが、その作品の展示の照度についての条件が借りるときについてくるということがありまして、そうした関係もあって、暗い中でスポットで浮かび上がらせざるを得ないような、そうした条件が付されるということが大きな要因でございます。
特に版画でありますとか、素描、写真等については比較的暗い照明の中でしか展示の許可が出されない、そういう状況にあります。

 一方、近年では、彫刻などの展示に自然光を取り入れたような、そうした試みも採用されるようになっておりまして、このたびの検討の中でも自然光を用いた展示などの工夫についても議論がなされておるところでございます。


大場教育委員会事務局理事監:

 博物館と学校連携の状況等についての質問についてお答えさせていただきます。

 博物館を利用していただいた学校を過去3年間の平均で、議員のほうからは生徒の数でお示しいただいておりますけれども、学校数で申し上げますと、来館されたのが約38校、学芸員を派遣したのが約7校、博物館資料を展示させていただいたのが約2校という状況でございます。
この内訳を特に来館された学校について地域別に見てみますと、同じく過去3年間の平均ですけれども、東部で33校、これに対しまして中部で4校、西部は1校だけという状況でございます。
学校は限られた日程、予算の中で学校活動等を行わなければならないということで、県立博物館から遠いところにある学校というのは来館が少ないのかなというふうに思っておるところでございます。
ただ、近い東部でも3年間一度も来館されない学校もあれば、西部のほうから何度も来館されている学校もあるという状況でございますので、博物館の利用について学校の間で考え方に若干違いがあるのかなと。
消極的な考え方をされている学校の利用が少なくなっているということもあるのではないかというふうに考えております。

 そうした考え方を多少変えていただければ、もっと利用していただけるんじゃないかということで、博物館では平成25年度から、教員の方を対象に、博物館の標本や模型等の実物資料を見ていただいたり、学芸員と意見交換をしていただくような機会を設けておりまして、そういうことで啓発に努めました結果、平成26年度には来館利用が倍増したということもございます。

 さらに、昨年度からは教育センターのほうと連携しまして、教員のための博物館の日という事業を開催しておりまして、教員の皆さんを博物館にお招きして、授業で博物館資料をどういうふうに使うかというようなことを学習してもらっておるというところでございます。

 さらにまた、ちょっと視点を変えてみますと、西部のほうには、米子市美術館ですとか山陰歴史館など身近に博物館に準じるような市立のいい施設があると。
こういう点も、県立博物館が西部の学校の校外学習の対象になっていない一因ではないかということも思うわけでございます。

 ただ、これについては、東部にも同様の施設がございます。
それでも、東部の学校は博物館に結構来ていただいておるということを考えますと、やはり県立博物館でしか得られないような教育効果というのもあるのだろうということなので、東部にもいい施設があるからいいじゃないかというようなことを言ってはいられないというふうに思っております。
ということで、博物館に行きにくい中・西部の学校には、せめて博物館の側が出かけていくという仕組み、要するに学芸員派遣ですとか資料展示、こういった事業を利用していただければなと思っておるのですけれども、これも実態としまして、東部のほうの利用が多いというのが現状でございます。
したがいまして、今後、これらの取り組みについては中・西部への重点対応、要するに学芸員派遣や資料展示については中・西部への重点対応ということも考えていきたいと考えておるところでございます。

 以上のような対応によりまして、より多くの学校に等しく博物館を利用してもらえるよう努めてまいりたいと存じます。


森雅幹:

 今回、美術館のミッションとして一番重要なものは何なのかというときに、去年1年間で博物館に美術鑑賞で来られた方は6万人だそうです、6万人。
で、53万人は来ていないのですね。
例えば知事が今言っていらっしゃる美術館が必要だというふうな県民合意ができるんだったら、やるという方向で物事を進めていくと、6万人の方は確かに美術館のミッションが必要だと思っている。
鳥取県にとって美術館が必要だというふうに言ってくれるかもしれないけれども、関心のない53万人、関心があっても、遠いから来ないという人もあるのですけれども、県民合意なんてできるのかなという不安が非常に私はあるのですね。
だけれども、私は、今、関心のない県民でも、知事がおっしゃったように、美術館が近くにあって、いつも美術館に行けるような状況で育ったという人はずっと美術館に通ってくるのですよ。
そういう経験を子供たちにさせなきゃいけない。
それが学校教育とがっちりと結びついて、小学校の間、6年間にたった1回だけ行ったということだけじゃだめだと思うのですよ。
小学校の間に何回か、中学校にも1回、あるいは高校でも1回、みんな行けるような、そんな美術館でなければ、私はつくったって意味がないと思っています。
というのは、やはり確かに知事がおっしゃるように、美術館で啓発を受けて作家になっていくという人たちも確かにあるでしょう。
それはわずかな人です。
やはり美術館に行って作品を見て、楽しめるようになって、それで生活に生かしていく。
生活の中の潤いに生かしていく。
そういった人をつくっていく必要があるから、美術館をつくるんじゃないかと私は思っているのですけれども、一番のミッションは何なのかということにもう一回、知事と教育委員長に伺います。


平井知事:(登壇)

 美術館の存在意義、存在価値ということだと思いますが、先ほど申しましたように、もともとはその土地にある財産として美術品なり、芸術品なり、そういうものを見せるギャレリアから発祥したものでありまして、そういう地域の財産というものを検証し、広く供用するということが基本だったんだろうと思います。
それがだんだんと国威の発揚であるとか、最近ではアメリカの現代美術館のように、地域の子供たちがエクスカーションとしてやってくる。
また、ファミリーツアーのようなこともやる。
そうやって家族にも親しまれる、どちらかというと外に開かれたような美術館、さまざまなものがいろいろと出てきているだろうと思います。
それぞれの持ち味ということはあるんだろうと思うのですね。

 今の森議員の言葉で若干考え方の違いがあるかなと思うのは、6万人の人が見たから、残りの53万人の人は見ていないので、この施設は要らないということになるかどうかということです。
それであれば、例えば図書館だとか、そういうのも一緒でありまして、図書館に足を運ばない人のほうが圧倒的に多いわけであります。
ちょっと卑近な例でいえば、スタバの話がありますけれども、スタバが必要かどうかと。
私は要らないと思うのですね、正直な話。
ただ、では、あれはなくてもいいよなと。
むしろないことを喜ぶ。
それが、県民としてもそういう傾向すら出たわけであります。
美術館はそうじゃないと思うのですね。
美術館がないことを喜ぶかというと、多分ちょっと違うんじゃないかと思うのです。
何の違いがあるかというと、多分これは社会的な通念として、一つの基礎的インフラストラクチャーだというふうに考える、そういうのが人間社会の一つの価値観じゃないかと思うのですね。
ですから、そういう意味では、いずれはこういうものがなきゃいけないよねとみんながどこかで思っているけれども、果たして今、それを思い切るかどうかというところが多分違いなのかなというふうに思います。
基本的な役割としては、美術や芸術、そうしたことに触れて、人間の価値というものを最大限引き出していったり、その人間に喜びを与える源泉としての芸術、美術というもの、それを地域の財産として、それを中核施設で保有し、展開をしていく。
そういうためのものではないかなと考えております。


中島教育委員会委員長:

 6万人の利用者に対して50数万人見ていない人がいるじゃないかというお話で、そのお話というのは、先ほど公共性という話を私は申し上げましたが、基本的にはやはり市場性、市場原理で考えるか。
要するに、今、目の前に社会的ニーズがある。
見たい人がいるから、その見たいというニーズに応えるという形で考えていくのか。
あるいは、そこには顕在化したニーズとしては存在しないけれども、私たちの社会が未来に向けて思う健康なあり方、健全な発展の仕方というのを想定したときに、その未来のあり方に対して必要だと私たちが思うかどうかという選択の問題なのかなと思います。
ですので、私の先ほどの話というのは、要するに、今、そこに必要だという人がたくさんいるという話ではなくて、必ずしも気づいてはいないかもしれないけれども、多くの人がよりよく生きたいと願う中で、潜在的にこういうものがあったらいいというふうに多くの人が思っていらして、そこに具体物があらわれ、そこにふさわしいプログラムなり、人との関係がうまくつくられていけば、その6万人という数字はやがて将来において劇的に変わり得るものになるし、私たちはそういうものをつくるんならつくらなければいけないんだというふうに思います。


森雅幹:

 知事の答弁、それから教育委員長のお話を聞きながら、いわゆる知事のこれまでの答弁で、民主主義の中で合意をとっていく中にあって、それがどういうふうに作用していくのかというところが、どういうことだったら県民合意なんだというところが、これはまた難しいなということを思いました。
それをいつつくるのか、いつ合意ができるのか。
それは潜在的な関心として持っているものなら、なかなかそれは表面に出てこないんじゃないかなというような危惧を持ちました。
これは今後、どういう展開になっていくのかということを私は心配はしていますけれども、基本的に知事は必要なインフラストラクチャーだというふうにおっしゃいましたので、そういう方向で話を進めてまいりたいと思います。

 登壇しての質問の中で申し上げましたけれども、「開運!なんでも鑑定団」の中で、いろんな価値判断をするときに、何でもかんでもお金に換算をして価値判断をする傾向が今、日本中にはびこっています。
いわゆる拝金主義というスタイルなのですけれども。
ある高い絵がある美術館に買われたということで新聞にたくさん、例えば3億円のミレーとかいう絵が買われたというようなことが話題になったどこかの県立美術館がありました。
話題になったのは3億円が話題になったのですね。
ミレーの落ち穂拾いが話題になったんじゃなくて、3億円が話題になって、みんな、うわあと言っていると。
それが、その価値観を持って鳥取県立美術館をつくったって私はだめだと思うのですよ。
そういう価値観を変えていくための一つの器といいますか、それを変えていくための道具であってほしいと思うのです。
なおかつ、もちろん学芸員がふりかけのようにぽろぽろと話す解説みたいなことが右耳から入りながら、左耳から抜けながら、その作品を見ながら自分で感じていく。
それを自分の言葉に変えていく。
あるいは、文章にしていく。
そういった力を鑑賞者につけていく。
それはたった一回、本当に美術館に子供たちを連れていったってできないことだと思うのですね。
やはり美術館を身近なものとして学校教育の中に位置づける必要が私はあると思うのです。
そういったことの例えば美術館をつくる上において、そういった覚悟が例えば教育委員長にあられるのかね。
今回の県立美術館、いろんなことを構想されているけれども、それぞれの学校の判断かもしれないけれども、そういったことを本当に学校教育の中に位置づけて、そういったところで必ず県立美術館に連れて行くんだというようなことまで考えていらっしゃるのかどうか。
ちょっとこれは教育委員長にお話を伺いたいと思います。


中島教育委員会委員長:

 議員御指摘の点は、そのようにできたらいいなということは本当に思っておりますけれども、まだ具体的な形ではそのよう検討は進んでいないところです。
ただ、小学校3年生を対象にして、美術館に連れていくというようなことは少し具体的に検討を始めているということはあるようです。


森雅幹:

 先ほど議長に許可をいただいて、皆さんにお配りしている資料であります。
博物館長からはいろいろ、学校数でお答えをいただきました。
例えば27年度を取り上げますと、東部の小学校で1,614人ということですね。
これは、東部の小学校の1学年平均が大体1,990人なので、1,990人のうちの大体1,600人が来ている。
それでも、ほぼ来ているかなぐらいな数字です。
よかったなと思います。
私はきょうここで少ないからどうこうとかというんじゃなくて、どうやったら博物館に、あるいは、どうやったら新しくできる美術館にそれぞれの県下の学校から来れるようになるのかということを質問したいのです。
今、博物館のほうでは、新しい美術館の事業概要として、3年生を、全学級を美術館に来れるような、そういう予算立てを事業予算としてつくっていらっしゃる。
本当にありがたいことだと思っています。
ただ、現実問題として、こういう状況です。

 私の小学校は箕蚊屋小学校ですけれども、校長先生に、東部の砂丘とか博物館とか、こういったところに何で行かないのですかねと。
私の小学校の時代はもう50年ぐらい前ですけれども、砂丘に遠足がありました。
もううれしくてうれしくてしようがなくて、バスに乗って行きました。
2時間半かかって、砂丘に来ました。
そういうのがあったのですね。
ところが、今、ありません。
特にちょっと前からゆとり教育とかということになりまして、授業時間数が減って、校外学習がどんと減りました。
そういった中では、非常に厳しい状況です。
学校の中でこういった校外学習を組むというのは非常に厳しい状況。
なおかつ、大山の青年の家とか船上山青年の家とかはちゃんともうプログラムに入っています。
そこで、何で博物館は選ばれていないのかというふうに聞いてみたら、西部から2時間ないし2時間半かかって、朝9時に出発して、11時ないし11時半に着いて、1時間中を見て、12時半ですか。
12時半で、1時間弁当を食べて、そしたら、1時半。
そしたら、バスに乗ってまた帰ると。
こういうプログラムが組めないというわけですよ、バス代が幾らあったとしても。
そういうプログラムは学校教育として効果的でないと言うわけですよね。
だから、もしつくるとすれば、学校が校外学習として選べるようなところにつくる必要があるんじゃないかと、具体的なところは言いませんけれども。
私はそれが必要じゃないか。
要するに、各県下、各市の学校から私は必ず来てほしい。
選んでほしい。
選ぶためには、それなりの条件がやはりあるのではないかと思うのです。
これには回答は求めませんが、そういうことを私は主張したいと思います。

 これは重要な要件であります。
ちょっと話を変えますが、この間、終わりましたけれども、東京都美術館で伊藤若沖展というのがありました。
期間中に2日間休みがありまして、やっていたのは30日間ですね。
私もちょうど東京に行く機会がありまして、午後からの会議でしたので、朝一で行って、ちょこっとのぞいて行くかなんていう気を起こして行ったのですけれども、朝9時過ぎに行ったら、3時間待ちだと言われて、ははあと言って帰りました。
その翌日、空港で同級生に出会いまして、その同級生は、いやあ、伊藤若沖展を見てきたわと言うわけですよ。
いや、見てやと聞いたら、4時間待ったと言っているのですよ。
外で4時間待って、中に入って中を3回回ってきたと言うのです。
いや、よかったなとかといって図録を見せてもらいました。
これは30日間で44万人動員しています。
何でこんなに44万人も来たのか。
これはNHKスペシャルを2回やりましたし、BSプレミアムで4回放送しました。
私もそれは全部録画して見ていましたけれども、放送の影響、テレビの影響ってすごいのですね。
そういうときには物すごい人が来るわけですよ。
例えば、先ほど知事が3,500人というお話をされましたよね。
実際に地方でやる美術展はこういう状態ですよ。
やはりテレビで放映しないから、みんな、興味が湧かない。
どんなにいいものなのかもわからないから、結局は人数が少なくてだめだったみたいな話。
そこで、やはり地方のケーブルテレビを私はどんどんどんどん使う必要があるのではないかなと思うのです。
学芸員さんが作品解説をされますけれども、その作品解説を毎日少しずつ切って、作品をどんどんどんどん切って、毎日のニュースの中にどんどんどんどん入れてもらうとか、あるいは、企画展をやったら、必ず一緒にCATVで特別番組をつくるとか、そういった努力をしないと、私は、人をどんどんどんどん入れていくというのは地方の美術館では無理じゃないかと思うのですね。
やはりそういったことをぜひお願いしたいと思うのですけれども、いかがでしょうか。
これは教育委員長でしょうか、教育長でしょうか。
お願いします。

 それで、もう一つ言えば、この伊藤若沖展はアメリカのジョー・プライスコレクションと、それと宮内庁の所蔵の動植綵絵という30本の掛け軸ですけれども、それがメーンでした。
このジョー・プライスの奥さん、エツコ・プライスさんですけれども、この方はどうも鳥取県伯耆町の出身だそうですね。
もしできたら、鳥取県立美術館ができたら、この若沖展をぜひやってほしいなと思うのですよ。
こんなに関係のある人が、ジョー・プライスコレクションじゃなくて、エツコ&ジョー・プライスコレクションという名前なのですね、これ。
エツコ&ジョー・プライスコレクションという名前なので、ぜひこんなことにも取り組んでもらいたいと思うのですけれども、あわせてお願いいたします。


山本教育長:

 森議員から重ねて御質問がございました。

 若沖展を引かれまして、テレビ等、あるいは特別番組等をつくるようなことで、積極的に県民の方にアピールしていくといったことも必要なのではないかということでございますが、今現在、実際にはやっていないところでございます。
開催の広報あたりは、場合によってはテレビに入っていただくこともあります。
例えば24年に行いました柳宗悦展にはNHKさんのほうで、これは毎日のように宣伝をしていただきまして、このときは8,000名の来客者があったわけでございますし、また、昨年のポーラ美術館のコレクションには、BSSの山陰放送に特別協賛をいただいておりましたので、これも毎日のように放映をされました。
来場者数は6,700人ということで、それなりにやはりテレビを使って流すと効果があるんだろうなというふうに思っております。

 御提案のように、作品解説を毎日流すというようなことになりますと、やはりケーブルテレビとかそういうところでやるのが効果的かなというふうにも思ったりします。
いろんなところと相談もさせていただかないといけませんし、もちろん経費のかかる話でもございますので、少し研究をさせていただきたいなと思います。

 あわせて、ジョー・プライスコレクションにつきまして、美術館ができた暁にはということでございますが、いろんなつてをたどりながら、そうしたことも一方では模索していければということもあるわけですが、何せまずは美術館の必要性を理解していただいて、美術館をつくるというところに精神を集中していかなければならないなと思っておるところでございまして、少し先も見据えながら取り組んでまいりたいと思っております。


森雅幹:

 いろいろお話をしてまいりましたけれども、私は先ほどから申し上げているように、美術館が必要だという立場でこうやってお話をしてまいりました。
きょうも災害のお話の中で、いろんな災害があるので、万物の神様がおるというようなお話がありましたけれども、日本社会は古来より唯一の神ではなくて、さまざまなものに神が宿るというようなさまざまな価値をそれぞれお互いに共有してきたというふうに思います。
ところが、いつの間にかそんな古来からある価値を捨ててしまって、ファッションでも何か一つはやり出すと、みんな同じもの。
特に学校では、私は大嫌いでしたけれども、この間までルーズソックスがはやって、みんなが同じ格好をしていました。
学校ではとにかくちょっとでも違うものを排除していく。
そういうような圧力が物すごい力で働いています。
また、親も、いじめられないために同じものを持たせ、同じものを着させていくということをやっている。
そこがこの社会をおかしくしていっていると私は思います。
それもいじめにつながっていると思います。
さまざまな価値が共有できるようになっていく。
そういう社会をつくっていくためにも、私は美術館といったものが非常に重要で、美術館の作品は一つ一つの価値判断が全部違います。
見ているものが全部違う。
描いているものが全部違います。
それぞれビッグネームの絵が一番いいわけではなくて、全然有名な絵じゃないけれども、僕はこの絵が好きだ。
この絵を家に持って帰って、家に飾りたいなとかね。
そういったことを思う子供たちをつくっていく、その装置だというふうに私は思っています。
なおかつ、さまざまな時代のさまざまな文化のもとで、言葉の壁を超えて理解ができる、そういったものでもあります。
それが目の前に行って見られる、そういうものであります。
そういった装置を、今回いろんな議論が出ていますが、ぜひこの鳥取県の中につくって、また、それを楽しむことができる子供たちをどんどんつくっていく。
そういったことをぜひやっていきたい。
また、きょう、いろいろ知事も答弁されました。
教育委員長や教育長も答弁されました。
そういったことを、ぜひ関心のない人たちに向かってやはり言っていく必要があるのではないか。
教育委員長が答弁されました。
内在的には必要だと思っているのだけれども、そうではないという人たちもある。
そういった人たちにそういった働きかけをしていく必要があるのではないかなというふうに思います。
なおかつ、知事や教育長、教育委員長にもそういったことをお願いして、質問を終わります。
ありがとうございました。